貴船社と矢白神社

貴船社 由緒

祭神罔象女神(さいじんみずはのめがみ)(水の神)

寛文貳年(かんぶんじねん)九月(西暦1662年)五穀豊穣祈願(ごこくほうじょうきがん)の為水の神を祭る。

尓来氏神(じらいうじがみ) と称え奉り、生活の心のよりどころとして信仰極めて深いものがある。

 

昭和二十一年宗教法人となる。

昭和五十三年氏子の奉賛により建物の新改築、境内整備等を行い、神社の面目を一新する。

 

氏子鎮護 貴船社

貴船社の由緒

矢白神社「白い矢」

上社、下社、一社などの地名は、矢白神社に由来するといわれています。

かつての矢白神社は、現在の貴船社です。

貴船社の由来を伝える昔話「白い矢」

昔むかし、名古屋の東の辺りは、丘がずっと続く静かな村だった。

村人は小さな池を作り、水を大切に暮らしていた。

ある年、田植えをしてもう十日にもなるのに、雨は一粒も降らなかった。

二十日たっても、だめだった。

稲は枯れはじめ、イモの苗は黄色くなった。

村人達は、この前の飢饉(ききん)を思い出した。

食べる物といえば、木の根っこしかなかった。

村人達は丘の上に集まって、天の神様に、雨を降らせて欲しいと祈りはじめた。

三十日たっても雨は降らなんだ。

とうとう池の水はからからになってしまった。

ちょうどその時、都の「武内宿祢(たけのうちすくね)」という方が、大勢の家来を連れてお通りになった。

「これは気の毒なことじゃ。私がこの村を通りかかったのも何かの巡りあわせであろう。」と言って、一本の白い矢をお出しになった。

「珍しい白い(たか)の羽で作った、大切な矢じゃこれを授けよう。この矢を地面に真っ直ぐに立ててお祈りすれば、これから水に困ることはないだろう。」

村人は、さっそく地面に白い矢を立てて、周りに集まり祈りはじめた。

白い矢がビクッと動いた。

矢の周りの土が黒く湿ってきた。

みるみるうちに、矢の周りに小さい水たまりができた。

「み、み、水だぞぉー!」

矢の周りから、こんこんと水が湧き出した。みんなは肩をたたきあって喜んだ。

水は一筋の流れになって、畑や田んぼの方へ進んでいく。

村人は、流れにそって走り出した。

流れの中を走る者もいる。流れの中を跳ねている者もいる。

「おーい。俺の畑に水が来たぞぉ。」

「うちの田んぼに水が入ったぁ。」

「ありがたいのぉ。」

村人たちは踊り出した。おーいおいと泣きながら踊っている者もいる。

宿祢はこれを見ると、黙って立ち去れた。

村人たちは、お礼をいうのさえ忘れていた。

日が西の空に沈みかけていた。

丘の上の白い矢が、金色に光っていた。

村人たちは、白い矢を祭った神社を「矢白神社」と呼んで大切にした。

この村の名もいつの間にか ヤシロ村 というようになった。

愛知県小中学校長会編

「あいちの むかしばなし5 やすらひめ」

名東区暮らしの便利手帳より

10月 貴船社 秋の大祭

貴船社 秋の大祭さわやかな秋の祝日、貴船社の秋の大祭が行われます。

獅子姿の子供たちはっぴ姿のかわいい子供達。獅子頭を先頭にそれぞれの町内を練り歩きます。

町内を練り歩く獅子

楽奉納貴船社の氏子の家の子ども達の神楽奉納です。厳かな空気が流れます。

棒の手毎年、猪高町鷹羽検藤流棒の手が披露されます。

貴船コミュニティ