貴船の歴史

貴船区域の変遷

町名変更

昭和36年5月1日から町名変更が多く行われ、ほとんどの「大字(おおあざ)」と「(あざ)」がなくなってしまいました。

貴船学区のあたりの、大字名は「一社」で、その中には右記のような字名がありました。公園の名前などに残っているものもあります。

貴船学区の変化

それぞれ同じ位置での空中写真です。地図中央が現在の「貴船小学校」、中央やや上に「貴船社」があります。

※地図:国土交通省 国土地理院

貴船学区「地名」の由来

貴船の由来

昔、このあたりを流れる川には橋がなかったので、柴田勝家が、川に船を浮かべてその上に板をのせ、人が通れる橋を作った。村人はとても便利になったので、これを「貴い船(とおといふね)」と言った。その貴い船を神社の名(貴船社)にしたという言い伝えがあり、今の地名になっている。

貴船社貴船社

社(やしろ)

上社、下社、一社などの地名は、矢白神社に由来するといわれています。かつての矢白神社は、現在の貴船社です。

昔、この土地を通りかかった武内宿祢(たけのうちすくね)が、荒れた田畑の多いのを見て、村人に白い(たか)の羽の矢を渡し、水の神様を祭るようにと言った。村人は言われた通り神社を建てて、水神をお祭りし、「矢白神社」(今の貴船社)と名づけたと言われている。この矢白が社になった。

勢子坊勢子坊公園

勢子坊(せこぼう)

(1)このあたりは、むかし、尾張藩の狩りをする場所で、狩りがあるときは、村人が「勢子(せこ)」(動物を追い出す人)の仕事をさせられたことからついたのではないか。

(2)この土地にあった「誓光坊(せいこぼう)」、または「先光坊(せんこうぼう)」というお寺の名前が地名となったとも言われている。

杁田杁田公園

杁田(いりた)

このあたりに、池から用水路に水を取り入れる「(いり)」があったから、その名がついたと言われている。

陸前町 勝家坂

陸前(りくまえ)

柴田勝家がいた北の庄(今の福井市)の地名をもってきたと言われている。

貴船コミュニティ